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2009 年 5 月投稿文
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May 2009
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[大広] 第1024号 正義
[大広] 第1023号 狡猾
[大広] 第1022号 善意?
[大広] 第1021号 経験
[大広] 第1020号 不十分
[大広] 第1019号 許(ゆるし)
[大広] 第1018号 時
[大広] 第1017号 メモ術
[大広] 第1016号 未熟
[大広] 第1015号 安心
[大広] 第1014号 隠敵
[大広] 第1013号 木陰
[大広] 第1012号 身体操術2
[大広] 第1011号 身体操術
[大広] 第1010号 数える
[大広] 第1009号 不変
[大広] 第1008号 枷(かせ)
[大広] 第1007号 呪
[大広] 第1006号 生きる
[大広] 第1005号 自我
[大広] 第1004号 俳句
[大広] 第1003号 傷害
[大広] 第1002号 花
[大広] 第1001号 道
[大広] 第1000号 不動
[大広] 第999号 半道
[大広] 第998号 意読
[大広] 第997号 発展・変化
[大広] 第1024号 正義
社会正義などとも使われる言葉です。正義とは正しく守るべき内容を持っているもので人が生きる規範となるべきものと言うことです。
と、素直な表現だけでは筆者らしからぬ事になります。昔、大阪城の発掘調査で大きな石を運ぶ木製の橇が発見されました。修羅(しゅら)と言います。修羅は正義を行うと云われ、戦う相手は帝釈天(大石)です。正義は何時も修羅の側にありながら戦には負け続けています。正義の内容批判を考えると楽しい事がわかります。
(撮影 2009-1-12)
2009-05-31 (Sun) by 桃仁一仙
[大広] 第1023号 狡猾
狡猾( 悪賢い・こと)と良い意味ではないようです。子供の頃から自分のことも観察する習慣を持っていましたから、何か面倒な事、楽しくない事をしなければならない時に、狡猾さを使います。
自分で自分を操る背景は内で動く言葉で行動方向へ意識を運ぶようにします。途中で否定的言語が発生しても其れを乗越える内動言葉を呼覚まします。内動言葉を操る狡猾技術、そうして一日を生きています。
(撮影 2009-1-12)
2009-05-30 (Sat) by 桃仁一仙
[大広] 第1022号 善意?
小さな子供に厳しい言葉で接している場面に遭遇する事があります。子供時代にその様な経験を沢山持ったであろう人にも会います。
多くの場合で心に闇を抱えています。自己の価値基準を持てない、考えられない、結果として自信がない生き方をしています。間違った人生にならないようにの善意からであっても厳しい言葉で心が傷つくことがあります。後継者の子供時代に何とか合格点の接しかたが出来ていたのかな。相互対等の意見交換が可能な関係を保っています。
(撮影 2009-1-12)
2009-05-29 (Fri) by 桃仁一仙
[大広] 第1021号 経験
自分を客観的に観察する習慣があります。何時ごろからその様になったのかはっきりした自覚がありません。多分、小学校高学年にはその様な状態であったと記憶しています。
吃音(どもり)が原因の一つなのでしょうか、周囲からの疎外感を持っていました。兄弟からも其れを受けていました。自分も含めて他者を観察してその心理的内容を測ることが自己防衛であったようです。今、施術で証診断の内容検証に役立っています。経験の皮肉なめぐり合わせかもしれません。
(撮影 2009-1-12)
2009-05-27 (Wed) by 桃仁一仙
[大広] 第1020号 不十分
言葉が浮ぶのは何故なのか。何を伝えようとしているのか。子供の頃に孤独感の中で過してきたこと、そして本を沢山読む時間を持てたことも影響しているのでしょう。
ともかく、何かを伝えることが自分の務めだろうと感じています。伝える能力に不満足でもそれを越えなければと日々に思います。この小文にそして施術にも不十分さを抱え続ける生き方が好きです。
(撮影 2009-1-12)
2009-05-26 (Tue) by 桃仁一仙
[大広] 第1019号 許(ゆるし)
少年の頃から苦痛な記憶が重なっています。それに関る人を如何に許すべきか今も大きな悩みの一つです。
一つひとつの記憶を解決する方法は発見できないでいますが全体的には許すのでも忘れるのでもなく同じことを他者に仕掛けない経験値としています。大切な事を学ぶ機会を得たとして自らの心も軽い方向へ向いました。許(ゆるし)は他者へではなく自己に向うもののようです。
(撮影 2009-1-10)
2009-05-26 (Tue) by 桃仁一仙
[大広] 第1018号 時
過去から現在そして未来へ時が流れつづいています。人生の時で過去はどれほど長くても一瞬の今より短いものです。瞬きほどの未来でも遠い先のことです。
今に何を為すかの積重ねが時を生きる方法です。過去をどの様に生かすか、未来へどの様に進むかを思い量る今一瞬の重みを感じる。それが生きることかしらと惑う日々です。
(撮影 2009-1-10)
2009-05-24 (Sun) by 桃仁一仙
[大広] 第1017号 メモ術
メモを創ります。対象が場所や物であればその背景も含めて映像を記憶してから言葉にまとめます。アイデアなどや本の中の言葉などでもその時の情景も記憶してからまとめます。
メモは忘れないようにと忘れるためにの目的があります。記憶再生の手掛りが背景や情景です。文末の上向き下向き矢印やまるとバツなどメモ用に記号を考えています。筆者にはメモも創意工夫発現の場です。
(撮影 2009-1-10)
2009-05-24 (Sun) by 桃仁一仙
[大広] 第1016号 未熟
昔、施術の未熟ではなく覚悟の未熟について教え子と話をしました。日々、前に進む施術姿勢であればそれだけ己の未熟さを痛感するものです。
受術者はその時々で様々な症状を抱えています。その総てに迷い無く対応できる筈も無いのが現実です。未熟ゆえに迷う闇の中で出来ることを行い更なる進化を続ける覚悟を持つ事が施術者の誠意です。未熟の楽しさと苦悩とが施術の日々です。
(撮影 2009-1-10)
2009-05-22 (Fri) by 桃仁一仙
[大広] 第1015号 安心
安心(あんじん)は存在できるのでしょうか。まぁ無理な事と思います。安心できないならどの様に日々を生きるのかなと考えます。
安心しないで生きる、不安の中で怯えて生きていくのが日々の平常と覚悟する。其れが出来る可能なことだと思います。不安からの逃避で他者を頼るのは間違いです。不安の闇が生きる場です。覚悟をしてもやはり不安闇は心迷わすものです。それが当然です。施術も確信を背景にしているのではありません。それ故にこそ弛まぬ精進をしています。
(撮影 2009-1-10)
2009-05-20 (Wed) by 桃仁一仙
[大広] 第1014号 隠敵
大変に哀しい現実に遭遇する事があります。豊かな優しさを持つ子供がその優しさ故に心に深い傷を負うことがあります。
子供にとって大きな存在の親が子供に支配的態度で臨み、子供の感性を窒息させていることがあります。成長に伴ない呪縛から抜ける事もありますが、子供が親になって自分の子供に同じ支配態度で臨む事も少なくありません。人生を奪う隠敵が親とは哀しいことです。そんな背景も考えて施術を構成することがあります。
(撮影 2009-1-10)
2009-05-19 (Tue) by 桃仁一仙
[大広] 第1013号 木陰
暑い季節がもうすぐやって来ます。散歩道で木陰を発見すると何とも嬉しいことです。ベンチがあるともっと助かります。しばし休んで元気を回復してまた散歩します。
定期的施術は何の為と質問される事があります。「疲れる前の一休み」と答えることにしています。東洋医術の大きな目的は可能な範囲での快適日常です。大事が生じぬようにせめて小事に抑えるように大切な木陰の一休みでありたいと努めています。
(撮影 2009-1-10)
2009-05-18 (Mon) by 桃仁一仙
[大広] 第1012号 身体操術2
100円ショップの金串を手裏剣の練習に使う時、軽いものですから力で前に投げる動作は避けています。
剣先を上に、持つ手のひらを前に向け、ほぼ直角に曲げた肘を下に落とすイメージに身体を乗せます。剣が前上にとび出して的に刺さります。木刀を振おろす練習方法もあります。話だけでは施術の練習とは思えないとの感想もありますが、施術教室や治療見学で実際に行った後では違った観想になることが殆どです。
(撮影 2009-1-8)
2009-05-17 (Sun) by 桃仁一仙
[大広] 第1011号 身体操術
力み無く部分的でなくより全体として身体を動かしたいと考えています。わが国の古武術で行われている身体動作にそれを発見しました。より効果的施術に不可欠の要素です。
手裏剣の練習は有効な方法のようです。練習用の手裏剣は100円ショップで見つけた金串を使います。ダンボールを風呂マットにテープで止めたものを的にします。2メートルくらいの距離が適当でしょうか。立ち方、坐り方、呼吸法なども同時に練習できます。
(撮影 2009-1-8)
2009-05-16 (Sat) by 桃仁一仙
[大広] 第1010号 数える
二つの集まりの何れの数が多いのか比較するとします。それぞれ数えて比較する方法があります。
さて、比較方法はそれだけでしょうか。運動会の思い出に「玉入れ」もあります。同時に一つずつ数える方法もありました。現代数学の一つ、集合論につながる方法として感じています。身近の事にも沢山の方法と考え方の改革が隠れています。留っている水は腐敗します。心も一緒です。変に対応してこそ生きることです。
(撮影 2009-1-8)
2009-05-15 (Fri) by 桃仁一仙
[大広] 第1009号 不変
変化の中で不変を求める事もあります。言葉遊びですが、変わり続ける現実が不変です。そして不変の境地に到達したい願いも抱いています。
その願いの先は無限遠点なのでしょうかね。まぁそれならずっと楽しめるというものです。現に微妙にそして大胆に変化している施術内容と付合っています。一方に指先を触れ、関連した異なる部位に手のひらをあてる施術を考え始めています。
(撮影 2009-1-8)
2009-05-13 (Wed) by 桃仁一仙
[大広] 第1008号 枷(かせ)
習慣に馴染んでそれから抜けるのが難しいのは枷(かせ)に囚われています。必要に応じた変化が容易な状態を保持するのが望ましいと実感しています。
筆者の生活内容も必要となればそれを変えるのに心理的抵抗はありません。現在の状況は小さい変化を実現しつつあります。むしろ変化を拒む枷(かせ)に囚われることが堪え難きことです。未完を求める姿勢ゆえに、施術内容も変化し続けています。「ゆらゆら術」も進化・変化しています。
(撮影 2009-1-8)
2009-05-12 (Tue) by 桃仁一仙
[大広] 第1007号 呪
『呪 じゅ』とはもともと祭祀に関係した意味の文字でしたが今は違った内容で使われているようです。
自分で発した言葉が『呪 じゅ』となって自分にも掛る。言葉の意図がどうであれ『呪 じゅ』の作用は同じです。言葉が意識に作用します。自他に良い作用の言葉を使う工夫の重要性はこうした理由からです。訓練された者、立場が優位な者の言葉は自他共により強い作用を持つものです。その事に深く留意する必要があります。
(撮影 2009-1-8)
2009-05-11 (Mon) by 桃仁一仙
[大広] 第1006号 生きる
日々に食事して働いて休んでを繰返す。それが生きる事の基本でしょうか。其れだけでは自我の向う処へ行くことになります。
自我の存在を否定しませんが休息もなく何かに追立てられているようです。何処へ向うかを知らぬままに走っているようです。ゆっくりでも自分の行先を自覚して進む自己に生きたいと望んでいます。施術の場は相互自己自覚の修業になっているのかも知れません。
(撮影 2009-1-8)
2009-05-10 (Sun) by 桃仁一仙
[大広] 第1005号 自我
これから年齢を重ねる事に不安を感じます。一日過ぎれば人生の終りが一日近くなります。いまだ経験したことが無いことの不安です。
しかし、それより大きな不安があります。未経験遭遇の不安から自我の暴走を起さない自信が無いことです。日々の小さな変化に怯えながら不安からの出来もしない逃避、それが善意の周囲へ攻撃的に向ってしまうこと、それが不安です。多分、有効な解決は小さな不安と大きな不安と一緒にして自我とも混ぜて不安の中にいる覚悟かなと思います。
(撮影 2009-1-8)
2009-05-09 (Sat) by 桃仁一仙
[大広] 第1004号 俳句
歳時記を読むのが好きです。季節の俳句を眺め心楽しみます。好きな言葉もあります。一瞬に永劫の流れを感じる「去年今年」です。
この言葉に出会ったのは20代始めでした。衝撃と感動とが身内に渦巻いていたのを記憶しています。昔、国語の時間に俳句の解説がありました。残念ながら良い内容と言えないものでした。今でも同じ程度と思います。国語の一部として考えるべきものでは無いでしょう。
(撮影 2009-1-8)
2009-05-08 (Fri) by 桃仁一仙
[大広] 第1003号 傷害
自己も含めて人を傷つける行為は傷害というのでしょう。さて、その事を理解しないまま日常的に他者を傷つけている場合があります。
他者に対して支配者として振舞う行為にその傷害が伴います。自己の価値観を他者に押付ける行為と表現するとわかり易いと思います。人それぞれの価値観の存在には理由があります。自己の価値観を押付ける事は他者の存在根拠を失わせる事になりかねません。異なる価値観の相互存在との整合を測ることが必要です。人間関係で力の差が大きい場合に被支配側に心身障害が起きる可能性も否定できないと実感しています。
(撮影 2009-1-5)
2009-05-07 (Thu) by 桃仁一仙
[大広] 第1002号 花
色々な花を愛でるにも今と昔は感じ方が違います。一期一会をより現実的に思います。同じ花を再び見る機会を持てるかどうか。
散歩の迷い道で見つけた草花の一つひとつを愛しいと感じます。同じ場所、同じ花にめぐりあうのは出来ないことです。一瞬の積重ね、一期一会は施術でも同じ事です。
(撮影 2009-1-4)
2009-05-06 (Wed) by 桃仁一仙
[大広] 第1001号 道
人生まだまだ長い旅の途中です。何処まで歩き続ける事になるのやら解りません。時に疲れて木陰に休む心地好さが何よりです。
疲労感を感じ始めてどのくらいの時が過ぎたのでしょうか、遠い昔にはぐっすり眠って次の朝は元気な事がありました。昔は木陰よりも急な坂道に居るのが楽しかったようです。今は緩やかな坂でもゆっくり動きます。施術の変化も同じ方向です。
(撮影 2009-1-3)
2009-05-05 (Tue) by 桃仁一仙
[大広] 第1000号 不動
「不動如山」を「不動(ゆるがざる)こと山の如し」と読みたい、と考えています。まぁ勝手な感覚からです。
そんな勝手な感覚から「構造歪論」「五四術」「ゆらゆら術」など色々な有効的施術方法が生れました。これからも暴走を制御しながら自らの感覚・感性を大切に生きたいと願っています。沢山の方から「大広」に感想を頂き大きな励みになりました。有縁の方々に、そして最も厳しい批評者と協力者である子仙に感謝を贈ります。
(撮影:2009-1-3)
2009-05-04 (Mon) by 桃仁一仙
[大広] 第999号 半道
次回が1000号です。まぁよくやって来たなと思っています。友人の薦めでパソコンを始め、メールそしてウエブサイト構築、そして此処まで辿りつきました。
パソコン初期の頃は思い出しても笑ってしまうほど幼稚な諸問題で悩み止まっていました。是からの課題はウエブサイトの構築方法と内容の改善と考えています。何時でも道の半ばにある気持ちで一歩でも前に進む覚悟を持ちたいところです。
(撮影:2009-1-3)
2009-05-03 (Sun) by 桃仁一仙
[大広] 第998号 意読
この短い文でも読む人によって随分と違った意味を捉えるようです。行間を読む等とは云いませんが、それぞれの人生経験と現状とが影響するのでしょう。
安易な解決を求めると、其れなりの内容になります。考えすぎると何がなんだか混乱します。自己の経験と感覚の外側にも広がる世界があるのを受容しているかどうかという事かもしれません。
(撮影:2009-1-3)
2009-05-02 (Sat) by 桃仁一仙
[大広] 第997号 発展・変化
『気の出る指圧』は『気の定義』を明確にした上で恩師の全身十二経絡論を受容しています。その他の東洋医術解説で用いられている言葉も『気の定義』を基に説明しています。
考え方とその基準を明確にして更に工夫した多くの施術方法を初心者向けから高度な職業向けとして体系化しています。施術の具体的な身体操術も組込んでいます。そして今も発展と変化を継続しています。恩師への感謝と受術者の訴えが其れを支える大きな力になっています。
(撮影:2009-1-3)
2009-05-01 (Fri) by 桃仁一仙
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