大広

指圧塾 | 大広トップ | 検索 | 過去ログ | RSS | 管理

2009 年 3 月投稿文

< Mar 2009 >
[大広] 第972号 否干渉
 他人が自己の人生をとやかく言うのは好ましいと思いません。批判は他者の権利であっても干渉は権利外です。干渉は拒否されるべきです。人生はその人に属しているもの故です。

 人はそれぞれに自分の人生に責任を持つものです。主張を抱きながら一人の人間として生きています。施術者としては受術者への提言は許容されても人生に干渉しないよう警戒しなければ決定的間違いに踏込むと考えています。これも施術を「峠の茶店」と譬えている内容です。

2009-03-31 (Tue) 01:26:21 の画像
(撮影:2008-12-25)
2009-03-31 (Tue) by 桃仁一仙
[大広] 第971号 哀離
 言葉には力があります。其れを知っているか否かに関わらず言葉の力は作用します。自分にそして周囲の人に働きます。

 良い言葉を使う心遣いが自分と周囲へ良影響をします。たった一言でも人生を変えるほどに強く影響する力の大きさを認識していない処に哀れが生れます。これまでの人生経験の中で随分と多くの哀れを見てきました。周囲の人に敬意をもって言葉と無言の態度を贈る心遣いが哀から離れるもっとも有効な方法です。施術を「峠の茶店」に譬えるのにはこの様な背景もあります。

2009-03-30 (Mon) 01:34:08 の画像
(撮影:2008-12-25)
2009-03-30 (Mon) by 桃仁一仙
[大広] 第970号 愚果
 知らない事は愚かとは異なります。知らない現実を認識できないところに愚かさが生じます。その認識があれば学ぶ事は出来ます。

 現実認識が無ければ何もしないことに固執安住するでしょう。そして無意味に時が流れて行きます。そんな不行為は施術では停滞現象を生じ、東洋医療としての存在意味を問われかねません。愚に溺れぬ自覚と共に進化を続けたいですね。

2009-03-29 (Sun) 00:48:33 の画像
(撮影:2008-12-25)
2009-03-29 (Sun) by 桃仁一仙
[大広] 第969号 手裏剣
 「気の出る指圧」では身体動作の練習に手裏剣も使います。約一間(1.8m)離れた的に手裏剣を打ちます。力みを無くした古武術の身体動作を実感体験します。

 的は風呂マットにダンボールをテープで止めて使います。手裏剣は100円ショップで入手可能な金串や市販の五寸釘を加工したものです。肘を90度に曲げ手を耳横に構え、肘を下に振り下ろして剣を前に打出します。力が抜けていると的にまっすぐあたります。実施に当たってはくれぐれも安全に留意しています。 

2009-03-28 (Sat) 02:15:01 の画像
(金串・釘手裏剣 撮影:2009-3-16)
2009-03-28 (Sat) by 桃仁一仙
[大広] 第968号 木刀術
 休日大工で作った刀掛に木刀と杖があります。時々、素振りに使います。左右両手に同じ長さの木刀を持ち直上から水平に振り下ろします。

 振り下ろした左右木刀の高さは何時もほぼ同じです。「力を抜く」稽古です。木刀は重いので難しさがあります。それで軽くて短い麺棒を使うともっと簡単にできます。『気の出る指圧』で行う身体操作の基本練習です。

2009-03-27 (Fri) 04:52:36 の画像
(風に舞う軽さ 撮影:2008-12-21)
2009-03-27 (Fri) by 桃仁一仙
[大広] 第967号 夢人生
 自分の人生も「高粱一炊の夢」なのか、そろそろ疲れてきたなと思いながらも、随分と長いとも感じています。

 それでも日々の瞬時瞬時に興味と仕事が湧いて溢れます。其れを考えると自己の人生時間が短いと感じます。もう一度生れたいかと問われたなら何と答えようかな。また目が回るほど忙しい日々になりますからね。何はともあれ今の時間をしっかり生きるのが大切かなと思います。

2009-03-25 (Wed) 00:23:12 の画像
(撮影:2008-12-21)
2009-03-25 (Wed) by 桃仁一仙
[大広] 第966号 無検証
 日常で感じる悔しさの原因にテレビ画面の中から流れる無知と無理解があります。年の初めは干支(えと カンシ)、二月には暦と季節とつづきます。三月も末近くになって春らしくなったと話していたりもあります。

 さらに検証することなく制限されている薬品や治療法に関して、その制限の妥当か否かを考えることなく否定的に話している事はそれを切望している人達への無慈悲な行為です。真理は何時でも遠い山の向うです。 

2009-03-24 (Tue) 01:37:23 の画像
(撮影:2008-12-21)
2009-03-24 (Tue) by 桃仁一仙
[大広] 第965号 鉢景色
 窓下の植木鉢に銀杏が育っています。実生でもうすぐ十年になります。櫟の木もやはり実生でこちらも十年くらいです。

 鉢の隅にタンポポが生えています。花を支える総苞片(そうほうへん)が反り返っていない日本タンポポの特徴があります。その部分を二日目の開花前に撮影しました。綿毛が何処から飛んで来て此処に住み着いたのやら分かりませんが嬉しさがあります。気持ちの安らぎを感じます。

2009-03-23 (Mon) 02:15:20 の画像
(撮影:2009-3-21)
2009-03-23 (Mon) by 桃仁一仙
[大広] 第964号 解
 昔、2次方程式の解法を学びました。後継者が中学の時に学んだ進学向け雑誌に色々な条件に合わせた便利な解法の紹介がありました。

 さて、2次方程式には一般解の方法があります。小手先の便利さは其れなりに存在価値があるのでしょうが、発展方向を見失わない注意が必要になります。一般解法から「複素数」へ移行する道があります。基本を踏まえてこその応用法です。施術では「不要な力みを持たない」基本から出発して様々な発展・応用が可能になります。

2009-03-22 (Sun) 03:00:44 の画像
(撮影:2008-12-21)
2009-03-22 (Sun) by 桃仁一仙
[大広] 第963号 贈る
 この「大広」は大きく広く世に贈ると考えた名称です。それが初めの目的です。是まで二十年を越えて継続しています。手書き、ワープロ書きそしてWEBページ公開と変化もしています。

 後継者が出来、教え子が成長して「大広」の目的が一つ重なりました。後継者と教え子が遭遇するかもしれない困難に悩む時、少しでも助けになるようにとの願いを込めています。

2009-03-21 (Sat) 02:06:34 の画像
(撮影:2008-12-18)
2009-03-21 (Sat) by 桃仁一仙
[大広] 第962号 ほめる
 小さな子供をほめる場合、共に気持ちの高揚感が重要です。成長してほめる人に巡会えない状況に陥っても過去の高揚感を自分の中に再現可能です。それは生きる力の一つです。

 ほめられたい願望の為だけに行動する事の無いように何らかの工夫が必要になります。小さな子供が達成した自己進化の内容を相互に確認と把握してほめることが必要です。その経験を抱けば自己否定と自己肯定を伴う進化と変化を行えるようになります。忘れてならないのは、子供には無条件の愛情が必須で、すべてはその上に構築される事実です。

2009-03-20 (Fri) 00:13:44 の画像
(撮影:2008-12-16)
2009-03-20 (Fri) by 桃仁一仙
[大広] 第961号 褒める
 自分で自分を褒めるのは単なる自己満足に陥る危険もありますが時には必要な場合もあります。自己肯定ということです。

 危険の方は自己保身の類でしょうか。その状態は堅い殻に籠っている貝のようです。変化も出来ず進歩とも無縁になります。「ほめる」行為には支配と隷属関係の危険が伴う事もあります。当事者の自覚が無く悲劇的人間関係の泥沼を繰返す日々を作ります。

2009-03-18 (Wed) 00:51:28 の画像
(撮影:2008-12-11)
2009-03-18 (Wed) by 桃仁一仙
[大広] 第960号 変化
 日常の小さな変化でも恐怖に似た感覚を抱く場合があります。まして自分の考え方を根底から覆すような状況に対しては強い抵抗感を持つのが自然のことでしょう。

 しかし、その様な変化を乗越えた先に新しい自己の発見があります。その場合は転換と表現する方が適切だと思います。現在の施術方法に至るまで幾つもの転換点を越えてきています。不安と期待とを抱き、結果は充足と新しい不満です。これからもより良い変化・転換を越えていく心算です。

2009-03-17 (Tue) 01:20:13 の画像
(撮影:2008-12-11)
2009-03-17 (Tue) by 桃仁一仙
[大広] 第959号 身体操術
 「気の出る指圧」では精神統一法を応用して工夫したイメージの言葉に乗せた九種類の身体操術を行います。施術にも応用しますが施術者の訓練に役立ちます。

 指圧教室では別の身体操術も練習します。施術師として体験するであろう困難を乗越える気持ちを育てる方法です。施術師の社会的地位は未だ望むほどではありません。今後も施術内容と更なる社会認知の向上を目指して困難を乗越えたいと思っています。

2009-03-16 (Mon) 00:05:37 の画像
(撮影:2008-12-3)
2009-03-16 (Mon) by 桃仁一仙
[大広] 第958号 五十三次
 昔作られた東海道は五十三次です。実際の行程と比べて宿場の数が多いのです。如何してでしょうか。一つの説は華厳経の話に基づいているとのこと。五十三善事に出会って修業をすることのようです。

 是まで施術のことに拘らず自分と違う何かを会得している人に出会い、そして素直に教えを受けて来ました。自己の未熟さを知らされる優れた人との出会いの幸運を得るか否か、その機会を掴むか否かで人生が変わります。

2009-03-14 (Sat) 00:19:35 の画像
ジュズダマ:薬草
(撮影:2008-11-30)
2009-03-14 (Sat) by 桃仁一仙
[大広] 第957号 単語脳2
 意味ある言葉を伝えられない単語脳は悲劇の基では最大のものです。それが許容される同じ傾向の小集団でだけ生きる事になります。自己を発見する事も無く時が無為に流れていくことになります。

 人として生まれながら人として生きる事が出来ないまま人生の終りを迎えてしまいます。人が人であるのは考えることです。的確で内容豊富な単語話に憧れ『百尺竿頭』さらに一歩を進む思考を進化させる願望を抱いています。

2009-03-13 (Fri) 02:17:32 の画像
(撮影:2009-3-10)
2009-03-13 (Fri) by 桃仁一仙
[大広] 第956号 単語脳
 イベントなどに参加した小さな子供に感想を聞くと『楽しかった』と答えることがあります。単語です。

 大人に色々尋ねた場合も単語で会話をする事があります。文脈を持たないので意味が存在しないか如何様にも解釈できる事になります。意思、想いを伝える能力を獲得していないと悲劇を招きます。

2009-03-11 (Wed) 01:33:38 の画像
(撮影:2008-11-30)
2009-03-11 (Wed) by 桃仁一仙
[大広] 第955号 反あまえ
 是までの人生で経験してきた事の多くに「甘え」を感じています。小さな電機製造会社に勤めをしていた頃でも仲間意識とそれに所属する甘えの構図がありました。不快な経験です。

 施術経験三十六年、いま日々に後継者と様々な話をする機会があります。対等に意見を述べます。根拠の不確かさを指摘されては困りますから互いに論の根拠を明確にしてから話の展開を始めます。

2009-03-10 (Tue) 01:39:08 の画像
(撮影:2008-11-30)
2009-03-10 (Tue) by 桃仁一仙
[大広] 第954号 難易
 難しい症状を抱えた人の施術はその後の達成感がそれだけ大きいものです。当然、すでに期待する施術効果を得る時機を逸している場合もあります。その場合にはそれなりの対応を提案します。

 表面の症状から安易に施術の難易を予見しては油断を作る危険があります。充分な留意が必要です。

2009-03-09 (Mon) 00:37:06 の画像
(撮影:2009-3-7)
白花蒲公英が開花しました。
2009-03-09 (Mon) by 桃仁一仙
[大広] 第953号 暗号
 紀元前から情報伝達に暗号が用いられていました。今では身近なところで使われています。現在の暗号化には整数論が応用されているようです。

 施術ベッドに納まる人から沢山の暗号が発信されます。其の内で大切そして緊急の暗号を読取って翻訳し施術方針を決定します。まぁそんな風に施術を楽しむ工夫をしています。

2009-03-08 (Sun) 02:52:33 の画像
(撮影:2008-11-30)
2009-03-08 (Sun) by 桃仁一仙
[大広] 第952号 理解力
 何かを理解するとはどの様なことか、それを考えなければ行為としての理解はできません。更に理解には浅い深いと狭い広いの程度も存在します。

 自己の経験の範囲内だけでの理解を求めるのは間違いです。それを理解の一部として広がりの可能性を否定しない考えが理解に繋がります。経験していない症例に対応して施術を行う難しさを乗越える理解力とそれに裏付された判断力です。

2009-03-07 (Sat) 01:05:25 の画像
(撮影:2008-11-30)
2009-03-07 (Sat) by 桃仁一仙
[大広] 第951号 林
 日々の散歩は楽しみの一つです。途中で木々の緑を発見すると其方へ惹かれます。それで道に迷ってしまう事があります。

 小さくても林の中に入ると身心に安らぎを得ます。ゆっくりゆっくり生きている木々の生命時間と力強さを受容れて行く自己を感じます。施術で行う生命共感に近いのでしょうか。

2009-03-06 (Fri) 02:48:18 の画像
(撮影:2008-11-23)
2009-03-06 (Fri) by 桃仁一仙
[大広] 第950号 療術
 『気と何か』を明確に定義しています。その内容は単純明快です。自然をどの様に捉えるかと自然の動きも一緒に表現している事です。

 その定義に基いて力みのない施術方法を工夫考案し、その具体的技術として丹田(たんでん)の解釈を行っています。効果的で効率的な施術方法を指導しています。是までに抱えている思い込みに影響されないでテキストを読む人には分かりやすいと言われます。

2009-03-04 (Wed) 00:20:45 の画像
(撮影:2008-11-23)
2009-03-04 (Wed) by 桃仁一仙
[大広] 第949号 阿呆
 筆者のことを『尊敬しない』と後継者は云います。けれども『面白い人だと思う』と云います。

 厳しい批評をする後継者から『面白い人』と評価をされるのはうれしい事です。後継者の友人からも同じ様に『面白い人』と云われます。阿呆な生き方に心楽しさを味わっています。

2009-03-03 (Tue) 02:25:54 の画像 
(撮影:2008-11-23)
2009-03-03 (Tue) by 桃仁一仙
[大広] 第948号 矛盾
 言葉による表現は決して正確なものではありません。それ故に是までの『大広』で云って来た事と今後の『大広』の記述と矛盾があるかもしれません。

 それが大広子の存在そのものです。言葉による表現における範囲に止まらず様々な状況と場で矛盾が発現するかもしれません。施術では五行施術と四行施術の矛盾があります。矛盾そのものが存在の様相でしょうか。

2009-03-02 (Mon) 01:11:08 の画像
(撮影:2008-11-17)
2009-03-02 (Mon) by 桃仁一仙
[大広] 第947号 古寺
 言葉の響にも時の薫を感じます。流れるのでなく降積る時があります。庭の小石一つにもそんな趣があります。

 高い松の木から伸びた枝の下に小さな煎餅屋があると更に嬉しいことです。枝の上に雲が浮ぶ、古の風景がそこにあるようです。

2009-03-01 (Sun) 03:28:21 の画像
(撮影:2008-11-13)
2009-03-01 (Sun) by 桃仁一仙

< PREV | NEXT >